北京パラリンピックが開催中ですね。素晴らしいパフォーマンスで躍動される、パラアスリートの皆さんの姿には、いつも力をもらってます。
毎日の生活の中で、今日はな〜んかしんどいな〜、休もうかな~、と思うことはありませんか。私はたまにそんな朝があります。でもそんなとき、テレビの画面から流れてくるパラアスリートの皆さんの映像。生まれついてしょう害を持たれている方、成長の過程で、突然のアクシデントにより、しょう害を持たれた方、いろいろな選手がいらっしゃいます。目の前は真っ暗になり、絶望の淵に立たされ、ネガティブなことしか頭に浮かばない。自分には想像もつかない、辛い思いをされたと思いますし、保護者や周りの皆さんにとっても、まさに青天の霹靂であったと思います。
しかし、そのような逆境を跳ねのけ、命をかけて躍動する姿には、感動しかありません。そんな皆さんの映像を見た瞬間、心はシャキッとし、下らない考え方の自分を恥じ、今日も精一杯頑張って生きよう、と思います。
新田佳浩選手
![](https://shinrinkankyoukikaku.com/wp-content/uploads/20220308_0755554029275779132618358-360x640.jpg)
もう二十数年前にもなるでしょうか、前の職場の部下に、西粟倉村出身の新田選手と同級生の幼馴染みがおり、小、中学校と一緒に過ごしたらしいです。
お祖父さんのためにも、絶対にオリンピックで金メダルを取るんだ、と小さい頃から言っており、本当にいいやつですよ、と言ってたことを思い出しました。
高校2年生で初挑戦の1988年長野大会を皮切りに7大会連続出場し、金メダル3個を獲得し、四半世紀近くパラスキー界を牽引してきたレジェンド。岡山県の誇り、いや日本の誇り。
![](https://shinrinkankyoukikaku.com/wp-content/uploads/20220308_0756334997287977170076960-360x640.jpg)
そんな新田選手を師と仰ぎ、努力に努力を重ね、みごと金メダルに輝いた川除選手。
そのような山陽新聞の記事を読ませていただきながら、新たに弊社のドアを叩き、山の中に入ってくる方々にとって、師と仰がれるまではいかぬとも、日々業務に対して真摯に向き合い、楽しく明るい職場環境作りに努力せねばと、改めて感じる今日この頃です。
新田選手、本当にお疲れさまでした。